ごきげん家族

イライラ・ガミガミの子育てを卒業して、毎日わくわくの子育てを目指すブログ

6月の反省、ただただ長い言い訳と読書について思うこと。

こんばんは。ごきげん家族の妻こっちです。

 

今日は6月に掲げた目標の反省というか、長い言い訳です。

しばしお付き合いください。

 

目次

 

6月の目標 

thrift.hatenadiary.jp

 

NHKラジオ、高橋源一郎飛ぶ教室で紹介された本を読む

②家族のアレルギー体質を改善する

の二つでした。

 

どちらも特別意識して暮らしていたわけではないけど、振り返ってみれば、まぁまぁ目標達成していました。

 

長い言い訳

6月に読んだ本たち(一部抜粋)

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じつは、6月の目標に“読んだ本の読書感想文を書きます”と宣言してるんですよ。

なので読みながら気になったところにふせんを貼ったり、気づきをノートにまとめたりしたんです。

 

よしこれで感想文を書こう!と意気込んだけど全く筆が進まないんです。

 

やってて、全然面白くないし、気乗りしない。こりゃあダメだってことで、諦めました。

 

本の内容は面白かったし、新しい気づきもあったのになんで書けないんだろうと考えてみたんですよ。

理由を思いついたので、読書感想文を書けなかった言い訳を聞きてください。

 

他人に頭の中を覗きこまれているようで、超絶はずかしい

わたし、大学生のときにはっきりと気づいたのですが…

人前で本を読むことができないんです。

 

めちゃくちゃ他人の目線を気にしてしまい、本に集中できないんです。

講義が始まるまえに参考書を読んで待つとか、友だちとの待ち合わせ時間までベンチでゆっくり文庫本を読んで待つとか…

他人の存在をちかくで感じられる場所で本を読むことができない人です。

 

それは図書館でもいっしょで、学期末などレポート提出時期になると図書館は学生であふれるんです。

長机に何人もの学生がひしめいて、文献とにらめっこしながらレポートを書いてる。

 

わたしにはできませんでした。

だからいつも本を借りて、空いた講義室で一人で読んでいました。 

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友人たちは、わたしの前でも堂々と本を広げて読んでいます。

全然恥ずかしい様子なんて見せずに…

 

ずっとわたしが自意識過剰なせいだと思っていたのですが。

6年ほど前、清水幾太郎(昭和の社会学者)の本を読んでいたときに、長年の悩みを解決する言葉を見つけたんです。

 

じつは、清水幾太郎も他人の前で本を読むのが苦手だったそうです。

そしてもっと嫌だったのは、自分の本棚を他人に見せること!

 

なぜかというと、本棚(本)は自分の頭の中そのものだから。

つまり、本棚を他人に見せる=自分が考えていること(思考)を他人に丸出しにするのと一緒だとおっしゃっていました。

 

この言葉を読んだときに、あぁ〜そうか、そうか。そう言うことだったのか〜と腑に落ちました。

 

わたしは、他人の目線を気にしていたのではなく。

本を読んでいる最中にかけめぐる脳内の考えを、他人に覗かれてしまうことが嫌だったんだと気づきました。

実際に他人が脳みそスパッと割って、わたしの思考を観察するなんて無理なんだけど…

 

わたしはなぜか、考えごとをしていると、だんだんと思考が脳みそからあふれ出し、体のそとにぽわんぽわんと思考が流れでるような感覚になるんですよね。

(ちょっと何言ってるか分かんねーよって方、ごめんなさい)

 

きっとね、その流れでた思考を他人にキャッチされるのが恥ずかしいし、怖いんだと思います。

 

いまでも、ブログや公募の文章は自宅で一人にならないと書けないです。

お洒落な喫茶店やファミレスでなんて絶対に無理。

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それで、前置きが長くなってしまいましたが、なぜ読書感想文を書けなかったかの言い訳は…

本の感想を書くことでわたしの頭の中を覗かれるのが恥ずかしいからです。

 

これ実は、他人の文章でもいっしょなんです。

最近気づいたのですが、読書記録ブロガーさんや月一で読書記録をアップされている方の記事って、苦手なんです。

なぜか最後まで読めない。途中で苦しくなってしまうんです。

 

それは多分わたしが、他人様の頭の中をスパッと割ってのぞいているような、ものすごく悪いことをしているという罪悪感がわいてくるからなんです。

(たまこいつ何言ってるんか全然分かんねーよって方、本当にすみません)

 

でも仕方ない、そう感じてしまうんだから…。

 

読んだ本は長い時間をかけて、ゆっくり体のなかに染み込んでいくから

世の中の読書術って、読んだら忘れない技術やらアウトプットを意識して読めとか…

いや実際、読んだ内容をしっかり覚えて、身につけて実生活で活かせれば最高だと思いますよ。

 

でもなぁ、そんな本って実際あんまり役に立たないし。

役に立ったとしても、その効能は一時的で、あっと言う間に消費期限が切れる。

そんな気がするんです。

 

わたしもそういう系の本は大好きだし、読んだ直後はやる気満々になるんだけど、ほんと直後だけで続かない。

 

じつは、今のわたしの思考や生き方を形作ったり、しんどいときに支えてくれる言葉って、もう何年も前に読んだ本たちなんですよね。

それまでの生活では、すっかり忘れていたのに、あるときポンと思い出して”あぁ〜あの本の言葉ってこういうことだったのか〜“みたいに納得する瞬間が突然やってくる。

 

大学生のときの哲学の授業。

先生が一生懸命話しているけど、当時はほんと訳分からなかったです。

でも10年近くたったある日”あっ、あのとき先生が言いたかったことってこれじゃない?“って急にわかる。

そんな日がときどきやって来ます。

 

きっと、先生の言葉が10年の歳月をへてわたしの体に染み込んで、ふとした瞬間に今の自分と結びつくんだと思います。

 

本来、読書ってそいういうものなんじゃないかな。

即効性のある薬じゃなくて、ゆっくりゆっくり本の言葉がわたしの体に染み込んでいく。

染み込んだ先は、溶けてなくなってしまうかもしれないし、違う言葉や思考になってあふれ出てくるかもしれない。

 

読書の効能って、アウトプット重視の忘れない読書!じゃなくて、長い時間をかけてゆっくり自分に染み込んだ先にある、ふとした瞬間の気づきなんじゃないかしら。

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という、長い言い訳で自分が掲げた読書感想文を書こう!という目標を無かったことにしようとしてます。

 

無かったことになるかどうかは、今読んだ本たちの言葉がわたしの体にどのくらい染み込んでいくかによるなぁ。

来月か。数年先か。もしかしたら、死ぬ直前かもしれないし。

 

どうなるか分からないけどね。

 

さいごに

言い訳が長すぎて、アレルギー体質改善のはなしが全然出来なかったー。

 

まぁアレルギーのことは、これから調べて学んだことを忘れないようにブログで書こうと思ってます。

 

おわり